チームで議論するとき、意思決定者に求められる姿勢

運営しているオンラインコミュニティ「ライフエンジン」では、コミュニティ運営にかんする会議を定例で行っている。そこは誰でも参加可能なオープンな場だ。

最近の会議では、運営が考えている方針を共有しつつ、集まってくれたメンバーからフィードバックをもらう、という形が定着してきた。

つい先日も会議を行った。毎回会議が終わったあと、意見をくれたメンバーに対して「ありがてぇな……」の気持ちが浮かんでくる。

今回はその気持ちに至るまでに考えたことや、意識していた姿勢の話をしていきたい。

問題を「言語化できているつもり」が厄介

ある問題を解決するために、最初にやるべきことは、その問題を言語化することだろう。

「何が問題なのか」を言語化することができなければ、解決策を発想することも、はたまた解決策を比較することもできない。

ただ、厄介なのが、「自分では言語化できているつもり」でものごとを進めてしまうケースだ。

自分のなかで実は深掘りできていない問題に対して答えを出そうとすると、一見たしからしい施策でも、実際にはその問題の解決になんら寄与しない施策を打ってしまうことになりかねない。

そして、そのことに自分で気づけない。これが一番の問題だ。

思い込んでしまっているので対策の打ちようがない。

自分のなかにある”恐れ”を乗り越える

自分では思い込みに気づけないからこそ、仲間の手を借りて、一つのアイデアをいろんな角度から見る必要がある。

もちろん未完成の思考をさらけ出すことは、一定の恐れを伴うことがあるだろう。

「意思決定者なのにそんなことにも考えが及んでいないのか、と思われたらどうしよう」のような。

ただ恐れているのは案外自分だけで、周りの人は決して詰めるようなことをしようとは思っていないケースがほとんどだろう。少なくともライフエンジンでは99%そうである、といっていいかもしれない。

だからこそ戦うべきは自分のなかの恐れだけだ。

その恐れを乗り越えさえすれば、適切な議論ができ、アイデアがブラッシュアップされ、コミュニティにとって良い施策を打つことに直結する。

人格と言語化された課題を切り分け、自分の口から発された言葉(課題)を机の上に置く。

それをみんなで考え、深めていくようなイメージがいいのかもしれないなと思った。

その”違和感”こそが言語化できていない部分

忌憚のない意見を出してもらうことで、もしかしたら自分のなかでも違和感が生まれるかもしれない。

たとえば「自分が伝えたいこととずれている?」と感じたときは、自分の言語化に問題がある。

その違和感は、感覚値と目の前の言語とのあいだに差分があることによって生まれるものだ。

つまり、自分の感覚値を上手く言語化できていない証拠である。

仲間との議論をきっかけに、自分が本当に言葉にしたかったことに気づけるかもしれない。

そしてそれは、一人では決して気づき得なかったことだ。

実際にライフエンジン運営会議でも、アイデアが煮詰まっていない段階で共有してみた結果、とある問題意識について、自分のなかで上手く言語化できていないことに気づくことができた。それは一人では到達し得なかった場所だ。

会議が終わってしばらくして「ありがてぇな……」という気持ちが芽生えてきた。

要諦は押さえられているのではないか

貞観政要という書物がある。貞観とは当時の元号のことで、西暦627~649年を指す。

政要とは、政治の要諦(ようてい)で、物事の最も大切なところのことを指す。

ちなみに貞観の時代は、中国史上、もっとも国内が治まった時代のひとつだそうだ。

その書物には、”名君”と呼ばれる人物の絶対条件のうちの一つに、「臣下の”諫言(かんげん)”を得たこと」が挙げられている。諫言とは、上司の過失を遠慮なく指摘して忠告することだ。

この点にかんしては「上手くいっているのではないか……?」と思っている。

過失とまではいかなくても、自分のアイデアに対して、忌憚なく意見を述べてくれるメンバーがいるので、意思決定者(自分)が暴走してしまう恐れが小さくなっているように思う。

違和感があるときに「違和感がある」と伝えてくれる人の重要性』にも書いたとおり、ライフエンジンには誠実に意見を伝えてくれる人が多い。ここで誠実とは、勇気と思いやりの取れた状態を指す。

諫言を得ることにかんして、これだけはやってはいけないと思うパターンが二つある。

  • 自分の意見を過信し、メンバーの意見を退けようとすること
  • メンバーが意見しにくい空気感にしてしまうこと

なんとなく自分の強みは、2番目のパターンを自然に解決できること、にある気がしている。

とはいえ頭でっかちになって自分の意見を過信し、1番目のパターンを犯してしまうことも十分にあり得るし、2番目を犯してしまう可能性も決してゼロではないので、誠実さを忘れず日々を過ごしたいなと思う。

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