違和感があるときに「違和感がある」と伝えてくれる人の重要性

以前、このようなツイートをした。

こちらの発言やアイデアに違和感があるときに、「これ、なんか違和感があるんだよなー……」と伝えてくれる相手は貴重だ。

自分が気づがなかったそのアイデアのデメリットに気づけるので、よりアイデアがブラッシュアップされたり、そもそも実施しない判断ができたりする。

直感を直感のまま共有するには、心理的安全性が必要

違和感を違和感のまま伝えることは、自分と相手とのあいだに心理的安全性が確保されていることが重要になる。

違和感とは「上手く言語化できないけど、なんか違う気がする」といった類のもの。言語化できて相手に上手く説明できるものであれば、心理的安全性はそこまで必要とされないはず。

一方で、直感を直感のまま伝えることは心理的安全性が必要とされる。直感はまだ上手く説明できないことが多い。「なぜそう思うの?」と問われたときに「なんとなく……」という回答にならざるを得ないのが直感だ。「なんとなく……」で思ったことを伝え、そのアイデアが尊重されるためには、互いの信頼関係が必要になる。

その人の感覚を信じる

自分は直感を大いに信じている。これは自分のものだけでなく、相手が持つ直感も、だ。

個人的には、理屈で説明されるよりも、「なんとなくこれはダメな気がする……」という説明のほうが正しさを感じる。というのも、理屈だと同じ事象に対して、Yesの説明もNoの説明もできるからだ。これはやるべきだよねという説明もできるし、やるべきじゃないよねという説明もできてしまう。

直感はその人が今まで経験してきたことの中から形成されたもので、そこにはまだ言語化されていないものも含まれる。

その人を全包囲的に信頼しているのであれば、彼/彼女らの直感も同じく信頼できるものになる。直感にはその人の人生が詰まっているように思える。

だから「みんなは嫌がると思うよ」よりも、「私は違和感を覚える」のほうが、より真実に近い気がするのだ。

互いに慮りながら、見えている景色を交換する

意見が食い違ったときは、相手が見えている景色を理解しようとする思いやりと、自分が見えている景色を伝える勇気が必要だ。7つの習慣では、勇気と思いやりのバランスが取れていることを「誠実である」と表現している。

つい、自分が見えている景色以外を見ようとしないこともあるだろう。一方で、相手の意見のほうが正しいと思い込み、自分の見えている景色を伝えようとしないこともあるだろう。前者が誠実さに欠けるのは分かりやすいが、実は後者も誠実さに欠けるのだなと思うと、少し勇気を出してみようと思える。

相手が見えている景色を自分のなかで想像するのも重要なことだと思う。「もしかしたらこういう感覚なのかな」と同じ目線に立って考えてみる。言葉尻だけではなく、その裏にある背景や思いなどを考えてみる。これはどこにでも書かれていそうなことだが、実践するのは難しい。つい相手の視点に立つことを忘れがちになってしまう。

お互いがお互いを慮りながら、見えている景色を交換できると、より良い意思決定ができるはずだ。

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