あごに膿が溜まって余命を意識した話

あごに膿が溜まって余命を意識した話

死を意識したのは初めてかもしれない。

結局、「あごにガンができているかもしれない」というのは杞憂だったのだけど、実際に死を意識したら今と違う行動を取るだろうなぁと思う。

 

あごにガンの疑惑が出た瞬間

最初にガン疑惑が出たのは、歯医者がきっかけだった。

たまたま歯医者に行く機会があって、そこで検査をしてもらったところ、「あごの骨が溶けている」とのこと。

あごに何かが溜まっているらしかった。

「ガンではないと思いますけど、大学病院で検査してもらいましょう」と。

「ガン」というワードを自分自身に浴びせられたのは初めてだった。

「そういう運命なのか?まだ若いのになぁ」と思ったのを覚えている。

 

大学病院で検査を受ける

大学病院に紹介状を書いてもらって、翌日には大学病院で検査を受けることになった。

診断の結果が出るまでは1ヶ月。ひたすら待つ。

で、結果はただあごに膿(うみ)が溜まっていただけだった。それのせいで骨が溶けていたんだと。

「だけ」というのは変かもしれないが、とりあえずホッとした。

それでも異物には変わりないので3ヶ月後に摘出手術を受けることに。

 

心電図に異常が出たのはあごから転移したからではないかという不安

そして手術が直前に控えたころ、一度オペ前の検査があった。

健康診断みたいなものだが、そこで心電図にひっかかってしまった。

不安がよぎる。

最近、近い知り合いの知り合いくらいの人が30歳前半という若さで、手遅れの脳腫瘍が見つかった。余命が2年らしい。

若くしてガンになるのは十分あり得るということが、そのとき初めて体感覚としてわかった。

そしてそのほかに聞いたのは、歯の病気は全身に蔓延するらしいから、歯はめちゃくちゃ大事にしたほうがいいという話。

だから、

「あごから心臓に悪い菌が転移したんじゃないか……?」

「心臓にガンができたから、心電図に異常が出たんじゃないか……?」

という悪い想像が始まってしまった。

そこで余命を意識した。

 

余命が2年だったら

余命が2年だったら自分は何をするだろうか。

「明日が最後の一日だったら」というスティーブ・ジョブズの習慣は有名だが、一日だったら未来が短すぎて現実味を持って考えられなかった。

でももし余命が2年だったら。そのとき自分は何をするだろうか。

仮に自分が病気だと判明したのであれば、自分はそれに立ち向かう物語を書きたいと思った。

残りの一日一日の命を大切に生きる物語を書きたいと思った。

その物語をつうじて、同じ境遇の人を勇気づけたいと思った。

そして相方を笑顔にすることを最優先に生きるだろうとも思った。

たとえ自分の余命が2年だったとしても、相方の余命が2年だったとしても。

加えて、もし「何の問題ありませんでした」という結果が出たとしたら、もう同じことは繰り返したくないから、健康にとても気を遣うようになるだろうなぁと思った。

 

物語に勇気づけられた

心電図に異常が出た同じ日に「天気の子」を観た。

観る前まではけっこう落ち込んでいたのだけど、見終わったあとは静かな前向きさがあった。

率直に感じたことを書くと「死んでもいい」と思った。

余命を宣告されたとしても、残りの命を使って使命を成し遂げよう。そうして死ぬのなら悔いはないと思った。

 

なんの病気も見つからなかったけど、物語を書いてみたい

翌日、再度検査をした。

結果、最初の検査の日の前日にスポーツをしていて、スポーツをした翌日の検査だったので波形に異常が出たとのことだった。

結局杞憂に終わったのだが、それでも「余命2年」はリアルだったなぁと思う。

健康体だとわかった今、それでも人を勇気づける物語を書きたい。

もう少しだけ生きたいと思えるような、

本当に大切なものを考えられるきっかけになるような、

自分が物語に心を動かされたように、自分も物語をつうじて誰かへの勇気づけができればいいなと思う。